秋月手漉き和紙 - 受け継がれる伝統 - アクロス福岡
Language 検索
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • Twitter

受け継がれる伝統

秋月手漉き和紙

秋月手漉き和紙
▲イラスト・有馬沙里 ▲秋月手漉き和紙

美しい自然と史跡を楽しめる秋月は、筑前の小京都とも呼ばれる人気観光スポット。豊富な水源に恵まれたこの地では、戦国時代末期より紙作りが行われていたという。その製紙業が最盛期を迎えたのは今から約200年前、黒田長舒(ながのぶ)公が藩を治めていたときのこと。学問や文化、医療や産業など、各方面から人々の生活の向上を目指した長舒公は、主産業の一つとして、楮(こうぞ)(和紙の原料)がよく育ち、環境にも恵まれている地の利を生かした製紙業の興隆に力を注いだ。そもそもこの地域の楮は荒楮とも呼ばれるほど強度に優れていたこともあり、書画などに用いるというよりも、髪をまとめて結ぶ元結(もとゆい)に使われたり襖や障子などに重宝されていた。結果、秋月の和紙は人々の生活に欠かせない必需品となり、地域の産業として隆盛を極めたのだ。

しかし昭和に入り、生活スタイルが一変。安価で手軽な素材を求める風潮が広がった時代に、この地の和紙製造業も次々と撤退を余儀なくされ、現在では一軒を残すのみとなった。130年以上にわたって和紙を作り続けている井上家の4代目、賢治さんはこう話す。

「当家も一度、昭和40年代に休業したことがあるんです。伝統工芸で食べていくのは本当に大変なことで、苦渋の選択だったのでしょう。しかし、この地から和紙がなくなるのは残念だと多くの地元の方からのご声援もあり、父が意を決して再興しました。私も一度はサラリーマンになったのですが、父が紙を漉く姿を見ていたら本当にかっこよくて。憧れもあり、継ぐ決心をしました。暑い日も寒い日も自然と対峙する仕事は大変ですが、やはり一本の植物から紙を生み出すというのは有意義な職だと思っています。紙は人類の文明の象徴であると同時に、日本人にとっては窓の代わりになったり、身にまとったりとなくてはならない存在だったもの。今の子どもたちは紙が何からできているのか知らない子も多いので、そういった知識の啓蒙活動もしていきたいですね」

電球に巻いてランプシェードにしたり、パソコンで印字できる和紙を作ったりと、新しい提案もしている井上さん。時代に合わせて、さらなるチャレンジを続ける伝統工芸だ。

(文・上田瑞穂)

  • 筑前秋月和紙処
    朝倉市秋月424-2
    TEL:0946-25-0517