企救焼(きくやき) - 受け継がれる伝統 - アクロス福岡
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受け継がれる伝統

企救焼(きくやき)

企救焼(きくやき)
▲イラスト・有馬沙里
 ▲企救焼(きくやき)

雅趣(がしゅ)あふれる深い濃緑が印象的な器の数々。昭和31年、戦後復興の旗印にと当時の小倉市長並びに文化人たちの強い希望で、由緒ある篠﨑八幡神宮の裏高台地に築窯されたのが企救焼の始まりだ。上野(あがの)焼の十四代窯元の四男として生まれた初代光峰(こうほう)は、家業を継ぐ道ではなく、全くのゼロから新しい窯元を築いていく人生を選んだ。妻であるシゲ子さんは、当時を懐かしみながらこう語る。「家系から言うと『十五代』と名乗れる家元に生まれたのですが、自分がここから伝統を作り出していくのだと『初代』と名乗ることを誇りに思っていたようです。当然プレッシャーはあったと思いますが、それよりも夢のほうが大きかったのでしょう。55年前、まだ畑しかなかったこの土地で窯を開き、地域とともに発展していこうと陶技の研さんに努め続けていました。まさかここが小倉の中心地となるなんて予想もしていなかったんですよ」と笑うシゲ子さんの隣で、後を継いだ二代目光峰さんも目を細める。「30年前の開窯25周年の日に、突然初代が亡くなりました。私はまだバトンをもらう準備が万端ではなかったので、継ぐことに対しての重責に押しつぶれそうになりましたね。若いころは葛藤もあったのですが、作陶を続けるうちに、生涯をかけるべきこの仕事の素晴らしさに気付き始めました。何年やってもゴールがない、まだまだ勉強したいと思わせてくれる仕事なんです。展覧会にも出品したいし、また登り窯に火も入れたい。この歳になってもいつも新たな目標に出逢えるというのは幸せでしょう? 何より、先代が生み出したこの名前を受け継ぎ、また次に渡すという二代目としての役割に、責任とやりがいを感じますね」。

その役目は既に半分達成されていると言ってもいい。隣には、三代目となる孝司さんが座り、師を仰いでいる。「甥である孝司が三代目を継いでくれ、現在は3世代が一緒に暮らしています。それぞれの妻たちの内助の功にも助けられ、家族でしっかりとタスキをつなげていることに心から感謝しています。開窯から55年を迎えましたが、この先100年、200年と受け継いで新たな“歴史”を創り上げていきたいですね」

(文・上田瑞穂)

*作品は窯元の他、小倉井筒屋と小笠原会館(共に北九州市小倉北区)でも展示販売されている。

  • 企救焼窯元
    北九州市小倉北区篠崎2丁目34-12
    TEL:093-561-2741