芦屋釜 - 受け継がれる伝統 - アクロス福岡
Language 検索
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • Twitter

受け継がれる伝統

芦屋釜

芦屋釜
▲イラスト・有馬沙里 ▲芦屋釜

現在、国の重要文化財に指定されている茶の湯釜9個のうち、実に8個を占めているという芦屋釜。室町の頃より、「西の芦屋、東の天明(現在の栃木県佐野市)」とその名を全国に轟かせてきた。一般的には利休が活躍する桃山時代ののちに発展した産地が多いのに対し、芦屋釜が始まったのは1300年代半ば。たぐいまれなる技術をもって美しい曲線美と鉄の薄さを追求した茶釜は、南北朝時代の貴族たちに愛された。 しかしパトロンであった大内氏が滅亡したことにより、江戸初期にその250年の歴史を閉じてしまう。そこから約400年を経た平成の世に、再びこの名品を復活させようと集まった人々がこの「芦屋釜の里」にいるのだ。

「日本中で多くの職人が芦屋釜と同じものを作ろうと挑戦し続けてきましたが、誰も復元できない。造り方が極めて難しく、それが幻の名器と呼ばれるゆえんです。鉄の厚みを2ミリまで薄くするのも、現在の鉄であればそう難しくはありませんが、和銑(わずく)と呼ばれる砂鉄から作った鉄では非常に難しい。しかし、和銑で作ると500―600年は錆びません。この技術を復活させるには50年はかかると言われていましたが、芦屋町が町をあげて職人を育てるプロジェクトを立ち上げ、16年経った今、当時にかなり近いものが出来てきています」と語ってくれたのは学芸員の新郷(しんごう)さん。全国の博物館や美術館を巡り、芦屋釜の復活を研究者の立場から支えている。 また、この里で現在職人として養成されている八木さんと樋口さんにもお話を聞くことができた。

「茶道の世界では、芦屋釜は別格扱いです。見た目は重く、手取りは軽くという名器の条件を備えており、しかも古い歴史を持つ。和銑を用いて厚さ2ミリの鉄を実現し、且つ優雅な文様を表面に入れていくのは、本当に至難の業です。しかし、私たちがこの高みに挑戦し乗り越えることで、多くの人が復活を望むこの名器の産地として芦屋に再び光が当たればと思っています。年間に作ることができる個数は限られていますが、本物の良さをわかってくれる方がいると信じています」

(文・上田瑞穂)

  • 芦屋釜の里
    福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿1558-3
    TEL:093-223-5881 
    休日・月曜日(祝日の場合は翌日)