筑後和傘 〜 繊細な作業の積み重ねが生む造形美 - 伝統の技 - アクロス福岡
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伝統の技

筑後和傘 〜 
繊細な作業の積み重ねが生む造形美

蛇の目の入った鮮やかな傘布に、漆の黒が映える
▲蛇の目の入った鮮やかな傘布に、漆の黒が映える
温かみのある和紙に、色とりどりの木綿を組み合わせた飾り糸、そして、さした時の軽妙な雨音。筑後和傘は、和紙と竹が生み出す和の趣ある伝統工芸品です。筑後和傘の起源は400年以上前、神社の神官が副業として行ったのが始まりといわれています。当時は筑後川を水路にして、日田や八女から竹・和紙を仕入れて作っていたそうです。現在も八女産の和紙を用い、昔ながらの製法で手作りされています。

筑後和傘ができるまでに必要な作業は、約30行程。傘の軸となる竹骨と、竹製のハリを接ぐところから始まり、すっきりと折り畳めるよう、ハリに貼った和紙に指で折り目をつけたり、表面だけでなく内側も美しく見せるため、ハリを支える小骨部分にいくつもの飾り糸を編み込んだり…。いずれも絶妙な力加減やカンを要する繊細な作業ばかりです。なかでも、特に難しいといわれるのが「耳貼り」です。「耳貼り」とは、ハリを等間隔に広げ、傘の一番外側を和紙で縁取っていく作業のこと。ハリとハリの間隔を均一にするのは至難の業で、長年の技術と経験が必要不可欠です。

これらの繊細で手のかかる作業をいくつも積み重ねることで、和傘の趣ある造形美は生まれます。筑後和傘は日用具として、また舞踊などの小道具として、江戸〜昭和前半にかけて人々の生活に根付き、親しまれてきました。昭和20年代には、城島町内だけでも100軒以上の和傘屋があったそうです。そんな和傘屋も時代とともに減少し、一度は途絶えてしまいましたが、和傘職人を親に持つ人々が「地元の伝統を後世に伝えたい」という一心で保存会を設立。贈り物や装飾品用にオーダーメイドの和傘を作るなど、時代の声に応えつつ、筑後和傘の伝統と技を守り続けています。

  • 問い合わせ先・見学先
    城島和傘保存会
    平成6年に創立。久留米地場産業振興センターや城内町内のお祭りで、筑後和傘の展示・販売を行っています。
    久留米市城島町下田187-1 
    TEL:0942-62-1137(代)
折れやすい竹を、均等な細さ・薄さに削ったハリ
▲折れやすい竹を、均等な細さ・薄さに削ったハリ。造形美を作る大事な要素の一つだ
傘布を貼付ける「胴貼り」の作業
▲傘布を貼付ける「胴貼り」の作業
蛇の目部分の和紙を切り取る
▲蛇の目部分の和紙を切り取る
色とりどりの飾り糸が美しい
▲色とりどりの飾り糸が美しい
傘の型を付ける鉄輪などの専門道具
▲傘の型を付ける鉄輪などの専門道具