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福岡クリエーター 人物列伝

川原俊夫(ふくや創業者)

福岡を代表する名物といえば、一番手に名があがるのが明太子だろう。専門メーカーは今や、県内に数百あるとも言われているが、最初に生み出したのはご存じ「ふくや」の創業者・川原俊夫である。

俊夫は日本領時代の釜山で生まれ、当地の料理や味に慣れ親しんだ。韓国で昔から食されていた「明卵漬」というスケソウダラの卵に唐辛子をかけた惣菜に発想を得て、調味液に漬けこむという俊夫のアイデアを組み合わせて作ったのが現在の「明太子」だ。戦後日本へ戻り、高度経済成長期が加速し始める昭和24年に、初めて世に出した。

「いかに少ないおかずでたくさんご飯を食べられるかを求められる時代だったので、今よりずっと塩分が多かったんですよ」と話してくれたのは俊夫の孫で、現副社長の川原武浩さん。発売当時は冷蔵・冷凍保存する設備がなかったために塩分を高めに作られた明太子を、薄くご飯に伸ばすようにのせて食べていたそうだ。

俊夫は自身の店の拡大などに無頓着で、明太子の商標登録も製法特許も取らず、同業者に広くレシピを公開した。この私利私欲を排した行動にも俊夫の戦争体験が影響していると武浩さんは語る。

「大正生まれの祖父は、太平洋戦争で徴兵され沖縄の離島に配属されたものの、急な作戦変更によって沖縄戦から復員できたまれな例でした。同僚も友人もみんな亡くなり、生き残った命を自分自身のためではなく国の復興のため、社会のために使いたいと常々思っていたようです。明太子が生まれたときに、それをこの町の名物にしたいと製法も名前もオープンにしたのはそういった祖父の信念があったのでしょうね。そればかりか、自分たちが住むこの町をよりよくしていこうと、とにかく町の発展にも尽力しました。中洲まつりを始めたり、博多おくんちを復活させたのも祖父だと聞いています」

博多川の水質改善に乗りだしたり、であい橋の設置計画に参画したりと、俊夫の社会貢献については枚挙にいとまがない。「拾った命を世の中のために使いたい」その一心が、70年を経た今も万人から愛される、この町の名物を創りだした。

(文・上田瑞穂)

ふくや創業者・川原俊夫(1913-1980)
▲ふくや創業者・川原俊夫
(1913-1980)
昔の味を復活させた 明太子「復刻」
▲昔の味を復活させた 明太子「復刻」
山のぼせでもあった川原俊夫(中央・昭和37年追山)
▲山のぼせでもあった川原俊夫(中央・昭和37年追山)
戦後すぐ、中洲で食糧品店を営んでいた頃
▲戦後すぐ、中洲で食糧品店を営んでいた頃
株式会社ふくや
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Tel:092-291-3575(代表)