明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域 <6> (三池炭鉱・三池港③) - 目指せ!世界遺産 - アクロス福岡
Language 検索
  • Facebook
  • Instagram
  • YouTube
  • Twitter

目指せ!世界遺産

明治日本の産業革命遺産
九州・山口と関連地域 <6>
(三池炭鉱・三池港③)

三池炭鉱の主要施設
▲1 三池炭鉱の主要施設。緑線が三池炭鉱専用鉄道。(万田坑パンフレットより)

「宮原坑」と並ぶ三池炭鉱を代表する竪坑

国内最大の炭鉱として、日本の近代工業化を支えた三池炭鉱。その主力坑となったのが、前号で紹介した「宮原坑」、そしてもうひとつが大牟田市に隣接する熊本県荒尾市の「万田坑」です。「万田坑」は、炭鉱業界の模範とすべく三井が総力を挙げて建設。第一竪坑は1902(明治35)年、第二竪坑は1908(明治41)年に完成しました。明治時代に作られた炭鉱施設としては日本最大規模で、1927(昭和2)年〜1945(昭和20)年に年平均86万トンを出炭するなど、1900年代前半に最盛期を迎えました。

1951(昭和26)年、採炭効率の低下により採炭を中止、その後は三池炭鉱全体の坑内排水の管理のために稼働を続け、1997(平成9)年に閉坑しました。しかし、現存するレンガ造りの第二竪坑巻揚機室には、英国製のジャックエンジン(蒸気エンジン)や巨大なウインチ、三井三池製作所製の巻揚機がほぼ当時の状態で残っています。また、第二竪坑口では、ケージ(エレベーター)で地下264mの坑底まで作業員を下ろす様子がうかがえます。

三池炭鉱と三池港を結んだ大動脈

「宮原坑」や「万田坑」で採掘された石炭は、「専用鉄道」によって積出港まで運ばれました。三池港までつながり全線開通したのは1905(明治38)年。1909(明治42)年には電化に着手し、1932(昭和7)年には全線電化となりました。大牟田市と荒尾市の市街地を馬蹄型(左図)に囲む本線は、枝分かれした支線とともに炭鉱坑口と主要工場を結び、最盛期には総延長約150kmにもおよびました。また、資材の運搬や作業員を運ぶ客車も運行され、文字通り炭都を支える大動脈でした。

炭鉱が閉山した現在は、一部が三井化学専用鉄道と名前を変え、工場とJR九州鹿児島本線間で運搬するのみで、不要となった線路などは撤去されています。近くにある「宮浦石炭記念公園」からは、当時と同じ、国産では最古級の電気機関車の動く様子を見ることができます。

次号では、今なお現役の「三池港」に着目。三池炭礦社の事務長・團 琢磨が行った、100年先を見越した大港湾事業とはどのようなものだったのでしょうか?

  • 万田坑に関する問い合わせ先
    住所:県荒尾市原万田250-5
    電話:0968-57-9155
    (万田坑ステーション)
    ※隣接する万田坑ステーションでは、万田坑をはじめ三池炭鉱の全体的な仕組みや歴史を模型や古写真などで紹介。ガイドが常駐し、万田坑の案内も可能。営業日やガイドほか詳細は、万田坑ステーションにお問い合わせください。
    専用鉄道敷跡に関する問い合わせ先
    電話:
    0944-41-2515
    (大牟田市企画総務部 世界遺産登録・文化財室)
    0968-63-1681
    (荒尾市教育委員会 生涯学習課・世界遺産推進室)
第二竪坑櫓
▲2 万田坑のシンボルとしてそびえる第二竪坑櫓。総鉄鋼製、高さは18.8m。宮原坑とともに国重要文化財、国史跡に指定。(写真提供:荒尾市教育委員会)
ドイツシーメンス社製の日本で最古級の20tB-1号電気機関車
▲3 ドイツシーメンス社製の日本で最古級の20tB-1号電気機関車。(写真:毎年11月3日に開催されている大牟田市の「近代化遺産一斉公開」イベントより)