#26 画家 田中 千智(たなか ちさと) - アクロス福岡
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伝えたい文化の魅力 NEO

#26 画家 田中 千智(たなか ちさと)

画家 田中 千智(たなか ちさと)

昔から絵を描くことは好きで、中学生くらいのときにはすでに、将来美術関係の仕事で食べていくと決めていました。糸島に住んでいたのですが、進学もデザイン科がある香椎の高校に決め、3年間通いました。遠かった。普通学科の教科が少ない分、毎日デッサンやデザインのクラスがあって、刺激的で楽しい3年間でした。
しかしその後の受験に失敗して、浪人生活を送ることに。現役時代受けた美大は全滅して、はじめての挫折を経験しました。やっと入学できた東京での大学時代はたくさん学びもしましたが、一方でアルバイトが忙しくなって創作活動が止まったりということもありましたね。日々生きること、描くことについて模索しながら、生活していた気がします。このまま普通に就職したほうがいいのかな、絵で生計を立てるのは難しいかも…ということも考えたりしていました。卒業のタイミングで西方沖地震があり、家族が心配だったこともあって福岡に戻ってきました。この時にじっくりと自分の絵と向き合う時間が作れました。大学時代やり切った感もなかったし、「これが自分の代名詞となる画風だ!」という自分の作品に対する方向性も見出していなかった。まずはとことん絵に没頭してからその後のことを考えようと、手あたり次第にチャレンジしてみました。横浜で3ヶ月に及ぶ滞在制作をした時は107人のポートレートを制作。また九州日仏学館(現アンスティチュ・フランセ九州)の個展にも応募しました。この個展の時に、初めて現在の作品に繋がる「黒い絵」を展示しました。私としては大きな手ごたえを感じる作品だったんですが、お客さまの反応はそうでもなくて。作品を人の心に届けるのは容易なことではないと、この時痛感しました。この個展を開催したのが2009年なので、それから10年を経て、「黒い絵」=田中千智を、少しずつ伝えられることができたかなと思っています。ただどこかのタイミングで「私はこれでいく!」って決めたわけではないんです。自分の絵を描きたいという衝動に突き動かされて、この雰囲気がしっくりくると思いながら描き続けてきました。人の言葉を聞きながら、迷うこともありますが、とりあえず10年は自分の表現を続けることができたのかなと思っています。
自身のプライベートではこの10年間に結婚や出産を経験し、環境は大きく変化しました。「子どもを産んだら作品が柔らかくなった」と言われることもありますが、本人としては全く実感がありません。むしろ時間に追われるようになった分、ちょっとピリついたた雰囲気になってないか心配なくらいです。確かに妊娠中は穏やかな気分で、動物や子どもを描くことが多かったように思いますが、出産後は子育てする中で、時間との勝負なので、そんなにゆったりもしていられません。逆に制作時間が限られている分、表現として作り込んだものではなく、素直な作品ができているかもしれません。
日々生活していく中で受けた刺激や変化や違和感を取り入れながらも、「これが自分の生涯代表作となる作品だ!」と言える作品がいつかできるように、続けていきたいです。

(文・上田瑞穂)

プロフィール 1980年生まれ、福岡育ち。多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業。2006年より福岡を拠点に作家活動を開始。2010年「ART AWARD NEXT#1」青年会賞、2013年「損保ジャパン美術賞展」優秀賞など受賞多数。シンガポール、英国、マレーシアなど国内外で個展も数多く開催している。「戦争とおはぎとグリンピース」(西日本新聞社)等、本の装丁も多く手掛ける。2019年に西日本文化賞奨励賞を受賞。